久しぶりの更新です


夫が定年になってから今年で5年目になります。


夫は、相変わらず口うるさくてちょっとでも気にいらない事が、あると怒ってしまいます。


そして口をきかないままで何日も過ごしてしまいます。


私のすることなすことに文句をつけては、機嫌を損ねています。


私だって普段は、仕事をしているので休みの日ぐらいは、


朝寝坊をしたいことだってあります。


夫は、私が、休みの日に限って朝早く起きています。爆弾


そして息子一家が、朝忙しくしているのに邪魔をしています。


嫁さんにとっては、うっとおしいことだと思います。


私としては、息子や孫が出かけて行った後にゆっくり起きて休みを楽しみたいと


思っているのに夫は、私が起きないからいつも怒っています。


同居だからお互い気を使う所は、使ってほしいのに


そんなことはおかまいなしです。


こんな夫も長年の暴飲暴食が、たたってしまい


みごとお医者様から糖尿病を宣告されてしまいました。ガーン


でも根っからの卑しいのは、治らなくていつも何かしら食べている状態です。


もうこんな夫は、嫌・・・です。


夫が、定年後は、夫婦で二人仲良く老後を過ごそうと思っていたのに


そんなことは、夢の夢で終わってしまいそうです。しょぼん




私は、再就職をしてから2月14日で4年になります。


もうこんなにたってしまったのかと思うほど毎日が、早く過ぎた感じです。


今思えば仕事は、接客業ですが、暑さと寒さの戦いだったと思います。


お盆の頃には、汗をだらだら流しながらレジを打っています。


そして年末には、半端ない寒さの中で手は、あかぎれになりながら


レジを打っています。


でも人間関係は、良好なほうなので今まで何とか頑張ってこれました。


みんな若い人ばかりの中で私ひとりばあさんが、平均年齢をあげています。


今年の9月には、還暦を迎えますが、会社としては、定年になる年齢ですが、


希望すれば65歳までは、働かしてくれるそうです。


家のローンは、まだ残っているので仕事は、やめられない状態です。


老体に鞭打ってこのまま働き続けるのかしかないと思います。


60歳で定年になってのほほんと暮らしている夫を見ていると


無性に腹立たしくなってしまいます。


いつもお金の工面をするのは、私です。


夫は、大事な場面になると自分は、蚊帳の外の状態です。


胸が、苦しくなって寝られない夜が、続きます。


そばで夫が、いびきをかいて寝ているのをみていると


悲しくなるし殺意さえわいてきます。ドクロ


姑と夫が、早くいなくなればいいとそんなことばかり考えてしまいす。




先日次女の子供が、1歳になるのでお誕生日会をする為に


次女の家へ泊りに行ってきました。


次女の旦那様に気を使って気疲れしましたが、


孫に癒された日々でした。


現在孫は、5人です。


孫の成長は、楽しみですが、


その分年齢を重ねてしまう私ですが、


これからも現状維持で頑張るしかないのかな?


私の住んでいるこの地方にもあの地震の影響は大きかったです。


でも我が家は、お陰さまでみんな無事に過ごしております。


ブログの友達や遠くに住んでいる親友にも


ご心配をおかけしました。


地震のすぐ後にも仕事にでた為に無理をしたせいか・・・


風邪をひいてしまいました。


そして喉が、ダメになってしまい声が出なくなりました。


でも店の仕事が、忙しくて休むとは言えずに声がでないまま


何日も出勤しました。


そして無理がたたってしまい体の調子は、悪化してしまいました。



話は、がらっと変わりますが、2月2日に次女の子供が、誕生しました。


生まれたよ!という知らせをもらってからすぐに次女の入院している病院へ


行けばよかったのですが、私は、行かなかったのです。


次女の住んでいる所は、電車で片道3時間かかる所です。


私は、仕事をしている為に日帰りで次女の所へ行ってくるのは、自信がなかったのです。


というのも遠出をして一日電車に揺られて帰って来て次の日は、仕事にでる


と言うのが、出来なくなってしまったのです。


若い頃と違って疲れを次の日に持ち越してしまうと


仕事中に気分が、悪くなってしまい病気になってしまうのです。


そんなことから次女には、申し訳ないと思ったので


「2月26、27日に休みをとったからその日に行くから~」


と言っておいたのです。


そして後日次女からは、


「お宮参りに一緒に行ってほしいから来月の26、27日に来てほしい」


と言われました。


私としては、早く行きたいと思っていたのに次女からこんなふうに言われたので


3月26日まで待っていました。


そして3月25日の事です。



↑ に書いたように私の体の調子が、どうも思わしくなくて


娘の住む所へ行けるかどうか不安になってきました。


無理をして仕事を続けていた為に体は、どんどん悪化していました。


そして声は、出ないので娘とは、メールのやりとりをしていました。


私は、こんな具合だから今回は、行けないというと


娘は、じゃあお父さんだけでも来られる?


と聞くので夫に電話をかけてもらいました。


何しろ娘の家に行くのは、初めてなので夫は、一人では、行けない


という事を娘に言ったのです。


娘にすれば自分の子供が、生まれてから親に見てもらいたいと思っているのに


親が、都合で来られないと聞いて怒り出してしまいました。爆弾


そしてメールでは、私にひどい言葉をあびせました。


文字として残っているのでそれを読むたびに胸が締め付けられるほど


苦しいですが、娘の本当の気持ちです。


私も具合が、悪いのに無理して娘の家に行ってから


赤ちゃんに病気を移しても悪いと思ったし


今回は、苦渋の決断をしてしまいました。しょぼん


長男には、男の子二人と長女には、男の子二人と


合計4人の孫が、います。


その孫たちが、生まれた時には、私は、働いていなかったし


いつでも自由に出かけられたわけです。


そして長女も近い場所に住んでいたために孫たちが生まれた時には、


すぐに行く事が、できました。


でも次女の場合は、遠くに住んでいるし私は、働いていて時間に余裕がないし


まして今回が、具合が悪いときて悪条件が重なってしまいました。


5人目の孫だから決してかわいくないとかそういうのは、全然ないのですが、


何故か会いに行く事が、できない条件が揃ってしまいました。


そして来月に会いに行くというと


更に次女が、怒ってしまい今までの私に対する不満を延々とメールにのせて


送ってきました。メラメラ


挙句のはてに次女が、妊娠したときに私が、喜んでくれなかったとか・・・


またお金が、かかるからとか・・・


そういうことを書いていました。


そして私が、3人の子供を計画性もなく産んだ事・・・


私への非難の連続です。


だからと言って子供達に不自由な思いをさせたことは、ないし


3人の子供を立派に育てたと思っています。


でもそんなことを娘は、わかるはずもありません。


自分達が、何不自由なく育ってきた事は、当たり前と思っているから・・・


自分の言いたいことだけ言って私の体を心配するそぶりなんて


全然みられませんでした。


その時その時に一生懸命子育てしてきてこういう結果ですから・・・


悲しくてしかたありません!しょぼん



夫が、定年になる少し前に3人の子供達が、揃った時に


定年になった後もローンが、残るので助けてほしいといった時に


子供達の誰一人として手助けをすると言った子供はいないです。


それどころか・・・長女と次女は、私がその当時働いていなかったことに対して


「ローンがあるのにどうして働かないの?」


と攻め続けました。


そして遊んでいる事に対して非難し続けました。


私は、その言葉に心機一転して働き始めました。


今は長男一家が同居していてローンの返済はしてくれています。




私と夫が結婚したときには、ゼロからの出発でした。


なんにもない所から3人の子供を産んでそだてあげて


家を建ててそのローンの残りをまだ支払い続けているという現実・・・


3人の子供達には、その苦労なんて知る由もありません。


借金を作ったのは、私と夫なんだから自分達で全部かえすのは、


当たり前だとかも子供達から言われました。


子供を産んで育てるというのは、なんでしょうね。


20歳まで育てあげればそれで終わりではないのですね。


子供っていくつになっても子供だしいつまでも縁はきれないのですね。



私にとっての一番のストレスは、夫です。


定年になってから更に気難しくなった夫・・・


そしてたまにやってくる夫の母親・・・・つまり姑です。


そして嫁にだした長女と次女・・・


同居している長男夫婦・・・


人間関係の一番難しい原点かもしれません。



こんなストレスから早く逃れたい・・・といつもそう思う。



3月11日の午後3時10分前ごろだったと思います。


その日は、仕事でした。


レジの仕事をしているとじわりじわりと揺れを感じました。


私の住んでいる地方では、よく地震があるのでまた地震?


ぐらいにかるく考えていました。


でも今回のは、違っていました。


急に停電になって下からどんと突き上げるような大きなゆれを感じました。


それからあわてて外に飛び出しました。


そして外へ出ても何度も何度もゆれを感じました。


仲間につかまっていないといけないほどの揺れもありました。


そして足元が、ふらふらして気分が、悪くなってきました。


そして店内のあちらこちらの天井が、落ちていました。


近辺の家を見ると塀が、壊れて落ちていました。


そして家へ帰ると台所が、悲惨な状況でした。


食器類が、壊れてしまってめちゃめちゃでした。


足の踏み場もないくらいに殆どの食器が、壊れていました。


停電と断水は、ずっと続いていたので不便で仕方なかったです。



こんな状態ですからスーパーの仕事は、停止状態かなと思いきや


次の日は、朝7時に出勤して外で品物を販売しました。


レジが、使えないので電卓で計算して販売するという方法なので


ひとつひとつの品物に値段をつける作業をしました。


そして9時ごろになるとあっという間に長蛇の列が


できてお客さまでいっぱいになりました。


その日は、水とパンと果物などを売りました。


今日も外で販売するとのことで朝8時30分に出勤しました。


そして少しでもお客様の役にたちたくて


一生懸命仕事をこなしました。


せいっぱいの仕事をして家に帰るともうくたくたです。



家に帰っても停電だし水も出ないので不便で仕方ないです。


風呂に入りたい・・・今はそれが一番やりたいことです。


今日の4時ごろにやっと電気が使えるようになったので


テレビをつけてみるととても悲惨な状況が、映っていました。


阪神大震災の時と同じような状況でした。


いいえ・・あの時よりももっともっとひどい状況かもしれません。


悲しくて仕方ありません。


今でも余震が、何度もあって夜に地震があるとどうしても


目がさめてしまいます。


地震があってからは、夜怖くて眠れないです。


じっとしていてもゆれている感じがします。


でも私の地方では、このくらいですみましたが、


東北地方の方たちのことを思うと心が、痛みます。


私のできることはないか考えて小さなことからでも


始めようと思います。





仕事を始めてから今日で丁度3年になりました。


夫が、定年になってもまだ家のローンが、残っているので


やむなく仕事に出ることに決めました。


できれば私だってずっと専業主婦でいたかった。


でもローンを全部返し終わるのは、あと5年は、かかります。


夫の大切な年金からローンを払うとあといくらも残らない。


夫婦で何かをして楽しむためには、私が、働かないとお金は、ない。


だから一生懸命働くのです。


先日は、仕事中に具合が、悪くなった。


吐き気と下痢という症状で胃腸の風邪になってしまった。


でも仕事を途中で休むわけにいかないので


そのまま定時まで仕事を続けた。


今までにもなんども仕事中に倒れそうになったり


具合が、悪くなったりもした。


でもローンを返し終わるまでには、仕事はやめられません。


このまま頑張って続けるしかありません。


自分にむちをうつ今日この頃です。

昨年末の暮れのことです。


私は、毎日仕事に明け暮れていました。


同居している息子一家は、大晦日から嫁さんの実家へ行くと聞いていたし


長女は、年末年始は、仕事が入っているようなので


我が家には、来ないみたいだし・・・


次女は、この1月に出産を控えているので我が家には、来ない予定でした。


このお正月は、子供達は、誰もいなくて夫と二人でのんびりと過ごせるはず?でした。


ところが、大晦日の前日に夫から


「お袋を連れてくるけどいい?」


とか言われてしまいました。しょぼん


お袋・・・つまり私にとっては、姑にあたる人です。


姑は、実の娘と暮らしています。


夫の妹の旦那様は、昨年の6月に癌でなくなってしまいました。


お正月は、喪中なので姑を我が家に送り込んできたのです。爆弾


いいも悪いも義妹が、そう決めたのだから仕方ありません。


私の意見なんて言える立場ではありません。


家を建ててからというもの姑は、もう何度も我が家で


お正月を過ごしています。


でも今回は、私達夫婦と姑との3人での年越しです。


嫌で嫌で仕方ありませんが、姑が長生きをしている以上は、


この生活は、延々と続くわけです。むっ


スーパーでの仕事は、年末は、特に忙しくて・・・・


朝8時~夕方6時頃まで仕事でした。


姑が、昨年の5月に我が家に来たときには、


「麺類・・・が食べられなくなった!」


と言うのです。


それをまた今回も強調して言うものだから・・・


麺類は、作っても姑には、出せません。パンチ!


でも・・・我が家では、大晦日は、年越しそばを食べると決めているのです。


でも姑は、そばを食べないというので別にご飯を用意しました。


ほんと・・・面倒くさいです。爆弾


ほんとなら夫と二人でのんびりと正月を過ごすはずだったのに


とんでもありません。


どうしてそんなに我侭が、言えるのでしょうか?


今までは、一緒に出かけた時には、


ラーメンやうどんやそばばかり食べていたのに


ここへきてどうして食べられなくなったのかは、不思議で仕方ありません。


それに姑は、他にも好き嫌いが、多いのです。メラメラ


焼き魚の  ぶりは、絶対に食べません。


それに  さんまも食べません。


食卓に出してもそれには、手をつけなくて残したまんまです。


我が家での姑の生活は、朝早く起きて座敷に座っています。


朝ごはんの支度が、出来てから姑に食べさせると少したってから


姑は、ベッドに入って寝てしまいます。


それが、お昼頃まで寝ています。ぐぅぐぅ


昼ごはんを作って声をかけるとそれをさっさと食べてから


またベッドに入ります。


そして夕方の5時ごろになると姑は、起きてきてテレビをみています。


晩御飯を6時ごろ食べるとその後は、少しの時間だけテレビを見て


7時ごろには、もうベッドに入って寝ています。


つまりは・・・食べて・・・寝る・・食べて・・・寝る・・・の生活です。


体のどこかが、悪いわけではないのですが、


とにかくよく寝ます。いえ・・・寝るばかりの生活です。ぐぅぐぅ


まるで生まれたばかりの赤ちゃんとおんなじです。


いえね・・・姑は、おむつをしているのであかちゃんと同じなんですが、汗


違うところといえば口が、達者だということです。


口うるさくいうのは、今までとなんらかわりありません。


寝てばかりいるのに食べるのは、きちんと食べるのです。


これがあと何年続くのでしょうね。しょぼん





仕事を始めてから早3年目の年末を迎えます。


レジの仕事なんですが、昨年からレジ袋が、有料になってから


仕事が、やりにくくて仕方がありません。


客は、何を勘違いしているのか知りませんが、


レジをやりながら自分の持ってきたエコバッグに買った商品を


つめてもらいたいという人ばかりです。


これが難しくてとても疲れます。ガーン


かごぴったりにはまるエコバッグ・・・・これがとても曲者なんです。


お客さんからすれば会計が、終わると同時に商品も納められているので


自分が、バッグにつめることなくすぐに帰宅できるというものです。


でもこちらから言わせてもらうならば・・・


エコバッグほど嫌な物は、ないということです。


お客様の買った商品のひとつひとつが、ビニール袋に入っていて


バーコードがとおらないのです。ですからいちいちビニール袋をはずして


バーコードを通してそれから商品をビニール袋に入れてあげるのです。


本来ならばレジを終えた後にお客さまが、自分でやればいいことを


全部レジ係りにやらせるのでレジが、スムーズに進まないわけです。


ましてずらっと並ばれるともう焦ってしまいます。ガーン


それに商品をエコバッグに入れている間にお客様が、


好きに商品を入れ替えています。私が、入れたのが、気にいらないからです。


重たい物を下において軽いものを上に置くように心がけているのですが、


その時の状況でうまく置けないときもでてきます。


そうするとお客さまは、もっときれいに入れてほしいと文句を言います。


だったらレジを済ませたあとでゆっくりと自分の気のすむように


入れればいいと思うのですが・・・


お客様は、とにかく急いでいます。爆弾


一人あたり2~3分のレジの接客ですが、


こういうお客様が、多いのでとにかく疲れてしまいます。


仕事だから疲れるのは、当たり前なのですが、


お金を稼ぐと言う事は大変です。しょぼん


買い物袋を持ってこなかったお客様は、ダンボールの箱に


買った商品を詰めるわけですが、お会計が終わった後に


ゆっくりと箱に詰めればいいと思うのですが、


これまた非常識な方法で私達レジ係りを困らせます。メラメラ


レジを打ちながらダンボール箱に商品を詰めてほしいと言われます。


一人のお客様にこれをしてしまいますと次から次へと


同じ事をするようになります。


これもレジを打ちながら箱に詰めることも難しいし


お客さまにお断りをしています。


するとお客さまは、


どうして箱に入れてくれないのかと・・・・パンチ!


捨て台詞を言います。


それにレジに買った商品のかごを置いたまま


箱をさがしに行っている人が、多いと言う事です。


こちらの方が、聞きたいです。


どうしてそんなに急ぐのですか?・・・と


お会計を済ませたあとでゆっくりと自分の持ってきた袋なり


エコバッグにどうして入れる事ができないのですか?


買い物に来てどうしてそんなにせかせか急ぐのでしょうね。


お金を稼ぐと言う事は、本当に大変です。ショック!



そうそうそれからこんな事もありました。


お年寄りの夫婦から


「今一万円だしたのにおつりが、たりない!」


と言われたのです。


でも預かったのは、確か5000円のはずだったかしら?


と私も自信が、なかったので・・・


レジは、すごく混んでいたのですが。


すぐに精算をしてみると5000円の預かりに間違いは、なかったのでした。グッド!


お客さまの勘違いでした。


ホッとしたものの・・・何故か後味が悪かったのです。プンプン


お金を扱う仕事だから気の抜けない出来事でした。


これから年末にかけて更に忙しくなりますが、


頑張って仕事に精をだします。ニコニコ



仕事を始めてからお盆商戦を迎えるのは、


今度で3回目です。はやいものです。


レジの仕事は、チエックアウトということで同僚には、


若い女の子達ばかりなんです。私が、一番年上です。


私の年齢でも雇ってくれたことに対して感謝です。


でも店が開店してすぐの頃に私と同じような年齢の人が、


入ってきたのです。その人と歳が近いせいもあって


すぐにその人とは、うちとけて色んな話をするようになりました。


そしてお盆の忙しい時も年末の忙しいときもともに一緒に汗を流しました。


その人が、入ってくれたお陰で私の心が、癒されました。


これからもこの仕事で頑張ろうと思っていました。


それからは、仕事場で彼女に会えるのが楽しみでした。


そして今年のお盆も忙しいのを一緒に 乗り越えよう!と思っていました。


でも今年の4月になってから彼女は、急に仕事をやめてしまったのです。


なぜならば・・・病気だったからです。それも 癌という病気だったのです。しょぼん


あとになってそのことを知ったのですが、それを知ったときには、


ものすごくショックでした。しょぼん


仕事を辞めた時には、病気を治してまた復帰してくれるものと


信じていました。でも病状は、段々悪化していったそうなんです。


そして7月23日に亡くなったという知らせを聞いた時には、


呆然としました。こんなに早く亡くなってしまうなんて


信じたくなかったです。嘘であってほしいと思いました。


でも主任と一緒に彼女の自宅を訪ねると


彼女は、棺の中に横たわっていました。


癌という病気が憎いです。


どうして・・・若い人が亡くならないといけないのですか?


死  は誰にでも平等に訪れるのでしょうけど


若い人が、早く亡くなってしまうのは、納得がいきません。


日本は、高齢化社会でお年寄りが、いっぱいいるのに


順番では、ないということに不公平を感じてしまいます。


もう充分生きたであろうお年寄りがいっぱいいることに


腹がたちます!


昨日は、彼女の告別式でした。


その日の夜にこちらの地方では、


大雨と雷の連続でした。雨雷


まるで私の怒りが、天に通じたようでした。


彼女のご冥福をお祈りします。







今年の9月で 58歳になりますが、


子供を3人無事に育て上げてきて孫も4人いて


周りから見ればすごく幸せそうに見えるかもしれませんね。


でも自分の人生をふりかえってみると


子供の頃からいつも  死にたい!  とそんなことばかり考えていました。


死ねば楽になる・・・と逃げ道ばかり考えていました。


両親は、いたのですが、貧しい生活で母親は、いつも父親の文句ばかり


言っていました。


それをいつも聞かされて育ったので父親の事が、嫌いだったし


母親の力が、ものすごく強かったのです。


そんな両親なら離婚をすればいいのにといつも


思っていました。


家庭の中は、暗くて家族の会話なんてなかったです。


その頃のテレビといえばホームドラマが多くて


私は、自分の家があんな家庭ならいいなと思っていました。


そんな中で私は、小学生の頃に母親のする内職を手伝いながら


「何か楽しい事がないかな?」


と聞いた事があります。すると母親は、


「人間は、苦労する為に生まれてきているんだよ」 ガーン


と話してくれたのを覚えてます。


その時は、子供心に大きくなったら私が、一生懸命働いて


両親を楽にさせてあげたいと思っていました。


そして母親が、している内職をいつも手伝っていました。


そして高校を卒業して就職をしてから


家に生活費をいれるようにしました。


でも家庭の中は、相変わらず暗くて両親の仲は、よくなかったのです。


私は、会社務めをしながら自分の青春時代を過ごしました。


会社の先輩に恋をしてそれが、成就しなくて


今の主人とお見合いをして結婚して・・・


そして子供を3人授かって一生懸命子育てをしました。


まわりからみればもうこれで充分幸せな人生を歩んできたと


思うだろうけど私の心は、満たされないままでした。


すきでもない人と結婚をしたという後悔がたってしまいました。


そんな私の後悔を夫は、知ってか知らずか・・・


夫は、家庭をかえりみないで毎日ギャンブルにのめりこんでいました。


私は、子供3人と一緒に  死にたい!


  とそんなことばかり考えていました。


今までに何度も死にたいと思っていたのに


それが出来なかったのです。しょぼん


自分の中でもう少し生きてみようと


そう思う心の繰り返しで今まで生きてきました。


そして子供の頃から働いてきて今また60歳近くになっても


働かないといけないという現実・・・


人間は、生ある限りは、労働をしないといけないな!


と思い知らされます。


でもいったい私は、何のために働いているんだろう?


と思うことが、あります。


私は、いつ人生を終えてもいいと思っているのに


これからも働かないといけないという  ギャップを背負っているのです。


そして姑が、元気で長生きをしている以上は、


これからもそれに付き合わないといけないかと思うと


私の人生っていったい何処まで 苦労を背負っているの?


と思ってしまいます。


姑にも夫にも息子夫婦にも束縛されない・・・


そんな人生を夢みているのですが、


思うようにならないのが、人生なんでしょうね。







大切な友達のともやんさんからこんな素敵なプレゼントを

頂きました。

「心友」とは、素敵な言葉ですね。

落ち込んでいた心が、癒されました。

この言葉を励みにこれからも頑張れそうです!

ともやんさん、どうも有難うございました。